右耳が外耳炎になってしまったけどクセでどうしても耳を搔いてしまうのが困った

今日はフラクショナルレーザーを受けてきた!表面麻酔って不思議だな~。本当に表面だけ麻酔が効いて口の周りの皮膚がうまく動かね~と思いながら看護師さんからのお言葉に応答していた。麻酔のおかげでレーザー自体はそんなに痛くなかったけど終わった後当たり前に顔が真っ赤で、とんでもねぇなと思った。ヒリヒリしてたから凍ったガーゼもらって電車乗って帰ったけど同じ車両にいた人怖かっただろうな。すっぴんで眉毛もなかったし。「お家で専用のパックしてくださ~い、でもしみるとおもいます」って看護師さんに言われたけどマジで今パックが沁みすぎて泣いています。シミシミ…。

 

先週は占星術でえりちゃんと生まれた星を見てもらった!俺は容姿のフェーズに金星が鎮座してるので見た目がビーナスみたいであるはずなのに、顔を真っ赤に腫らしてこのブログを書いています。なんでも星のせいにできるはずなのに星のコントロール外にいるのか?ビーナスだったことが一度もない人生なんですけど…。

 

最近は韓国ドラマのスタートアップにハマっている。ハマりすぎて各回2~3回ずつ見てしまった、特に7話&8話良すぎて全身から女ホルが出た。主人公の女の子に思いを抱く男性が2人登場するんだけど、片方のナム・ドサン氏が俺のドタイプすぎるのだが?背がバカでかい犬のような容姿のクセに女慣れしていない設定が無理なのだが?可愛すぎてどうしようもないのだが?無理~ナムドサンしか無理~!

話としては離婚で生き別れした姉妹の母ちゃんが金持ちと結婚したので姉はその恩恵を受けて育ち、父ちゃんについた妹は苦労して育ち、そんな二人が同時期に起業して競い合う…!という下剋上要素もあるので、ナムドサンのことは特に興味なくてもスタートアップは見てください。面白いので。

 

なんか書きたいことあるはずなのに最近うまくブログがかけないな。

ということで急ですが「シンデレラガールはわたしがおばさんになってものアンサーソング説」を書きます。

私はKing&Princeのシンデレラガールという曲が心底好きなのですが、その理由のひとつとして「全世代を受け入れる」感があるからです。

曲調もキラキラの王道ポップスでありながら、ビートが電子音の4つ打ちだったり、ベースもグルーヴ感があってダンス/クラブミュージックっぽさも兼ね備えてるんですよ。特にベースが実はうねうねし過ぎてるので注目して聞いてみてほしい!キンプリというグループのもつ、それこそおとぎ話の王様/王子様テイストをこんなに全面に押し出してるのに基礎の部分がなんだか今時なのである。

www.youtube.com

 

そして歌詞なんですけど、1番は一見かなり範囲が狭めに思える。

「11時間際のにぎわう街並みにまださよならいうには全然早すぎるのに」

「わりと門限厳しいってそんなのちゃんと分かってるって」

 わかるか?この狭さ。11時が門限って高校生にしては遅いから「門限が厳しい」とは

捉えられない気がするし、社会人にしてはまず門限があること自体がへぇ!って感じだから「わりと厳しい」ってのも違うしさ、一人暮らしだと門限もクソもないしさ、相手が『実家暮らしをしている大学生』としか最早解釈しようがないんですよね。そんな限定的な…!って感じだけど、実はここまでしっかり考えないと違和感があんまりないのよ。

何故ならここの部分は『実家暮らしをしている大学生』にだけ向けて歌ってるんじゃなくって、学生の頃に門限があって早く帰らないといけなかったご経験のあるあなた、終電などで名残惜しくデートを去らねばいけないご経験のあったあなた、そう、あなたへ向けているからなんですよ。あなたの青春の思い出、煌めいたあの頃を歌っているんですね。

なぜ「11時頃」と具体的な時間なのかは、まあ「シンデレラ」だからなんでしょうが、この時点で全員の煌めきをかっさらっていくわけよ。現役で青春を謳歌しているみなさんは「今のこと」として捉えられるし、門限なんてとうの昔に概念を捨てた私たちも「あの時のあの瞬間」を呼び覚ますことができる。

 

そして2番ですが、「誰もがみんな嘆いている 恋の魔法には期限がある 時がたてば宝石もガラス玉さ」って急に現実ブチ壊してくるんですけど、たしかに初恋で結婚してそのまま仲良く暮らしていく人なんてバチェロレッテの両親くらいなもんやし、私たちが煌めいた青春の思い出を持っている分、傷ついた経験もあるわけで、「恋の魔法には期限がある」ことも、どんだけ最高の恋だとその時思ってたとしても時がたてば宝石ほど輝いてはない、キレイだけど素朴な「ガラス玉」になってしまうこともわかっているのよ。でもね!!!そんなガラス玉をね「もしもそんな日がきたって きみは朝の光にかざして それを耳元に飾るだろう」って言うのよ。青春の煌めきを懐かしく思い出すという行為は、キレイなガラス玉を耳元に飾ることっていうワケ。比喩が大変美しい。

 

で、どこが私がオバさんになってものアンサーなんですか?って話なんですが、シンデレラガールって一曲を通して実はとにかく「歳を取ることは当たり前」という概念をちりばめてくる。サビも、「いつになっても、いくつになっても」「魔法がとける日がきたって」って、時が止まらないことを強調してくる。だけどそれでもとなりで笑顔みせてほしいし、僕が君をまもり続けるよって語りかけ続けてくれるんですね。

 

私がオバさんになってもを歌う森高千里はまったくオバさんにならないですが、とにかく「女ざかりは19」「若い子に負けるわ」「オバさんになっても変わらないで好きでいてくれる?」と歳をとることにひたすら怯えている曲なんですわ。女ざかりは19なんて彼女に言いのける男なんてズタズタに踏みつけて捨ててしまえと思うけど、そうやって歳をとることが怖いと思ってしまうガールのみなさんを、シンデレラガールという曲は全肯定してくる。ガラス玉のように小さいけど光に照らすと輝く思い出をもっていても、自分自身に期限があると思っていても、いつになっても、どんなときも、僕があなたを受け入れますという全世代全肯定ソング。それがシンデレラガール。

 

しかもこれがデビュー曲っていうのがまた固いんだよな~。絶対に広範囲に売れるに決まってるじゃん。King&Princeっていうグループ名、コンセプトにバチバチにハマっている上に、この内容なのはずるい。わたしもデビューするときはこのくらいクオリティの高い楽曲が良い。まずはジャニーズJr.になることから始めます。いつになってもいくつになっても夢はもっていていいと思いますので。