Last Night in Sohoを見た(めちゃくちゃネタバレをしている)
わたしが25日に六本木で映画を見たのにはちゃんとした理由がありまして、まず六本木ヒルズの映画館がそもそも好きだというのと、港区でPaypay30%還元キャンペーンをやっていたのでヒルズのフルーツザギャザリングで化粧品を買うといつもよりお得だったというのと、そういう複合的な理由でクリスマスに六本木で映画を見る選択をしたんですが、あまりの人の多さにクリスマスに六本木には来るべきでは決してないということを上京6年目にしてしっかりと学んだのでした。
そんな日にみたLast Night in Sohoですが、結果としては本当に心の底から疲れたという感想しかない。
〜ここからしっかりネタバレを含む〜
総評:
エドガーライトが女性蔑視あるいは軽視という問題に、冴えないオタク(という本人のステレオタイプなキャラクター)という面から真っ向と向き合って作り上げた映画だなと頭では理解ができるんだけど、やっぱりまだこの問題をエンタメとして消費するのは都合が良すぎるんではないですか?という気持ちがあってモヤモヤしてしまい、後半かなり疲れてしまった。センシティブな女性にとっては心底トラウマティックな映画だったのでは…と思う。本当にしつこい。
•田舎生まれの主人公が大学でロンドンに進学して、都会に打ちのめされる序盤。サブカルの女が都会で除け者にされてしまうシーンを見てあの頃の自分を思った。映画で主人公になればちやほやされるが、実際はただのカルチャーかぶれでしかないんだよな。
•"見える"エロイーズ(主人公)が夢の中でかつて同じ部屋に住んでいたサンディの追体験をして精神がおかしくなっていくことを基としたストーリーですが、トーマシン•マッケンジーとアニャ•テイラージョイが簡単に入れ替わるだけで無く、常にお互いがお互いの視界内にいることで『追体験』であることが明確化されていて良かった。ダンスシーンの入れ替わりは大変美しかった。
•追体験によって亡霊が追いかけてくるエロイーズがどうしても耐えきれなくなって警察に相談するシーン、これは分かりやすく痴漢やレイプその他の犯罪に巻き込まれた女性の話をほぼほぼ冗談、虚言として捉える男性 vs 親身になってくれる女性像だった
•主人公エロイーズを追い詰める『亡霊』には顔がなくて、その理由はのちに一応明かされはするんだけども被害を受ける女性にとっては加害者の男性は誰でもない男性、どこであっても、どんな人であってもあり得るという点での匿名性のない顔無しだったんだろうな
•途中でアニャさん(サンディ)がコロコロと偽名を使うシーンがあるんだけど、その立場上自分の身元を明かさないために偽名を使う、という設定もありながらもこの名前の数だけこういう経験をした女性がいるというアンチテーゼでもありますなと思いながら、わたしの脳内では加藤ミリヤのロンリーガールが流れていた。
あの名前の羅列は加藤さんがいじめられた人の名前という噂もありますが個人的にはディアロンリーガールの宛先だと思っているので。
•大トリのシーン、殺されそうになる主人公が命からがらに『幻覚の部屋』にいったときにそこで殺された男たちの幻覚にヘルプと言われた時、サンディが受けた全ての事柄をもってノー!というんだけど、それはそう、という感情で見てしまってよくいった!となれなくてごめんねと思った
•側から見たらマジでわけわかんなくなる主人公を最初から最後まで信じて支える良き理解者として黒人のメンズを置くのは都合が良すぎると思った。とにかく最初から最後まで都合が良過ぎる。
•いけすかない同級生に思わず危害を加えてしまいそうになるシーンがあるんだけど、あんなことがありながらも最後には認められてハッピーエンドなのって正気か?と少し思った
女性が性的に搾取されてしまうこと、軽く扱われてしまうことを全てホラー演出で終えてしまっていたので私は本当にしつこい!と思ったし、心の底から疲れた。あとからこれがホラー作品だったことを思い出して、ホラーなんだったらあそこまでやるのはわかるけど、ホラー演出で丸め込んではいけない題材だったのでは?と思った。わたしにとっては本当にトラウマティックだったしとにかく疲れた。二度と見ない。
ただ、エンタメ要素にこのテーマを落とし込むにはこのやり方が正解だったのかもしれないし、わたしが単にホットファズとかスコットピルグリム的なバカだな〜という感情で、あるいはベイビー・ドライバー的なハートウォーミングな感情でエドガーライト作品を摂取したかったから自分のエゴでこんなに怒ってるのかもしれない。
というかエンタメ作品に勝手にこんなにモヤモヤして生きづらい、面倒な生き方をしているんだなと自覚した。もう嫌だ笑
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